今起きている戦争をエッセイに書く
先日、今月のエッセイに、『てぶくろ』というエッセイを載せました。
息子が小さいときに読み聞かせた絵本『てぶくろ』がウクライナの民話と知り、ウクライナの子どもたちが無差別の攻撃に巻き込まれている現実に重ねて書いたものです。子どもたちが絵本を楽しむ平和な世の中になることを願うと締めくくりました。
2022年2月から起きている、ロシアによるウクライナ侵攻に対して、憤りを感じ、平和な世界を望む方は多いと思います。私も、特に戦禍にいる子どもたちのことを思うと胸が締め付けられ、また子どもたちの未来を奪うことへの怒りも沸き、その気持ちをエッセイに書けないものかと模索していました。
ところが、なぜ、どういう経緯でこの事態になったのかを、私はよくわかっていないことに気づきました。あいまいな知識で、戦争は悲惨だ、子どもたちがかわいそうだというエッセイを書いても、読者は共感してくれるだろうか。
そう悩んでいるときに、絵本『てぶくろ』とウクライナの関係を知り、「これを結び付ければ、自分に引き寄せて書くことができる。そして、私が一番気になっている子どもたちの惨状にも繋げて書けるだろう」と、エッセイの方向性が定まりました。
『てぶくろ』はそういう経緯で仕上がりました。
その後、エッセイ仲間がこの戦争について書いた作品を読む機会がありました。私の『てぶくろ』とは180度違う切り口で、戦争を真正面からとらえていました。
現在の戦況を語りつつ、「憤りとともに救いのない絶望的な思いにとらわれる」「戦争の理由が何であれ、犠牲になる人々は、かけがえのない人生をすべてを壊されてしまう」と、戦争に対する思いを素直に吐露していました。
戦争についての情報がわかりやすく整理されていて、何年か後に読む人にとってはもちろん、 現在ニュースで見聞きしている人にも理解の助けになるほどです。しかし、それは筆者の思いを裏付けるための事実説明という役割であって、そこに書き手の思いが書き込まれていなければ、エッセイとは呼べません。この作品に心打たれるのは、筆者の思いと情報がバランスよく書き込まれているからなのだと感じました。
この作品の最後には執筆の年月日が記されていました。「戦争はまだ渦中なので、書いた時点ではこういう状態だったと示す意味合いで」とのことでした。現在進行中のなまもの*は、時間がたったら状況や解釈がガラッと変わる可能性があるため、そういう配慮も必要なのですね。
同じ題材を扱っているのに、まったく違うアプローチの2編。いろいろな書き方があるというのもまたエッセイの楽しさだなと、再確認しました。
*なまものについては、以前の「今月の話題」なまものを書くで、新型コロナウイルスを例にして取り上げましたので、ご覧ください。