10年後
(ある年のクリスマス・イブのことを書いたエッセイです)
10年後
今年の冬は寒いね。
ホワイト・クリスマスにならないかなあ。
家族四人で凍てついた空を見上げながら、実家に向かった。プレゼントやケーキの箱で、みなの両手はふさがっている。母や姉家族と一緒にパーティをするのが、いつのころからか恒例となっている。電車で四つ先の駅とはいえ、子どもが大きくなってから、家族全員で私の実家を訪れることはずいぶん少なくなった。
夫の妹家族も車でやってきて、総勢十四人。大学生を筆頭に男の子たちは170センチを超し、みんなが立って動き回ると、狭くはないはずの実家がやたら窮屈に感じられる。
今までは、小さな丸椅子も総動員して、ギュウギュウになりながらも、全員で大きなテーブルを囲んでいた。ついに今年はそれをあきらめて、子どもたちにはリビング・ルームに低いテーブルが用意された。
仕切りやの高3の甥っ子が、今年の重大ニュースや来年の抱負などをひと言ずつ言わせている。ふだん口数の少ないうちの息子たちの声も聞こえてくる。おしゃべりな姪っ子たちから茶々が入り、子どものテーブルには絶えず笑い声が響いている。大皿に盛られたチキンの照り焼きやサラダも、すでに残りわずかだ。
小さいころは、みんなでクリスマス・ソングを歌ったり、誰かがサンタクロースに扮したりと、子どもたちを楽しませるために親がいろいろ計画したものだ。
「大きくなったよねえ、みんな」
成長ぶりに感心しながら、ダイニング・テーブルにどっかと座る大人たちは、シャンパンやビールでいい気分になっている。
姉の子ども2人とわが家の長男は年が近く、小さいころはよく一緒に遊ばせた。言いきかせても理屈の通らない一歳二歳の時期、3人がひとところで仲良く遊んでいるのは、ほんの一瞬。すぐに好き勝手なことを始める。おもちゃの取り合いも始まる。そのうち誰かが部屋からよちよちと出て行ってしまう。眠くてぐずりだす。姉と2人がかりでも手がたりなくて、母にもよく助けてもらった。
自分のための時間がもてず、子どもと向き合うだけの毎日に息が詰まることもあった。早く大きくなって手が離れないかと、いつも願っていた。けれど、今振り返ると、あのころの日々はなつかしく、いとおしい。もう取り戻せないかと思うと、胸の奥がツーンとなる。
「ねえ、あれ、見て見て!」
誰かが声をあげた。
鴨居にかけられたその写真は、ちょうど10年前のクリスマス・パーティのものだ。プレゼント交換をした直後で、サンタクロースの格好をした義兄が、子どもたちのまん中に座っている。
当時小学3年生の長男は、もらったばかりの本をさっそくひろげて夢中になっている。大学生になった今も、活字好きは変わらない。両脇に大きなプレゼントの箱を抱えてニカッと笑っている次男は4歳。中学3年になっても、そのやんちゃな目つきはそのまま。うれしそうにVサインしている姪っ子たち。一番の年下、2歳の姪は、サンタクロースを怖々見つめている。
思わず吹き出してしまうほど、みな幼い。幼な顔からかいま見える性格の片鱗は、現在の姿にそのまま重なる。
「ズウタイは大きくなっても、なんだか変わらないなあ」
大人はそう言いながら、目を細めて写真をながめる。
「そうだ、これと同じように座って、写真を撮ろうよ」
もちろん、仕切りや甥っ子の提案だ。
それぞれが10年前と同じポーズをとる。今夜はやってこなかったサンタクロースの代わりに、おばあちゃんがまん中に座る。姉と私が写真と見比べながら指示を出す。もっとプレゼントをうれしそうに見つめて! ダメダメ、笑いすぎ!
「また、10年後も撮ろうね」
大人は疑わしげに甥っ子を見る。
「今はそんなこと言ってるけど、イブは彼女と過ごすからとか、家族とクリスマスなんてありえねーとか、言いだすんじゃないの?」
もうすぐ子どもたちが離れていくことを、身をもって知っている。けれど、親は願う。10年後も、こんなふうに集まっていられたらと。
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