朝ドラ仲間
92歳になる母は、NHKの朝の連続ドラマ小説を見るのが日課だ。
私が『おはなはん』のテーマ曲を覚えているということは、母の日課は昭和40年代に遡るようだ。当時は3人の子育てに加えて、昼間は洋裁を教えていて、朝ゆっくりとテレビを見る余裕はなかったそうだ。手を動かしながら、耳でドラマの筋を追うだけだった。そういえば、いつから「朝ドラ」と呼ぶようになったのだろう。
そんな話を母とするようになったのは、母が80になって、外出や病院に私も一緒に付いていく機会が増えたからだ。待ち時間のおしゃべりに、朝ドラが登場するようになった。
母は時間のゆとりができて、朝だけでなく昼の再放送も見ていた。自分が若い頃に関係ある内容だとおもしろいのだろう、翻訳家の村岡花子さんがモデルの『花子とアン』、デザイナーのコシノ3姉妹の母親を描いた『カーネーション』、暮らしの手帖が出てくる『とと姉ちゃん』などの放映中は、会うたびに話題に上った。興味をあまり示さないのは現代の話を取り上げた作品だ。大ヒットした『あまちゃん』も今一つのようだった。とはいえ、興味がなくても朝ドラは朝ドラ、毎日見ている。
「テレビ局にとっては、ありがたい視聴者ね」
私は興味なければさっさと見るのをやめてしまうので、時々そう言って母をからかう。
姉家族と同居している母は、
「うちは誰も見ていないから、今日はこうだったわねと話すことができないのよ」
と嘆くが、みんなが同じ番組を見る時代ではない。仕方ないよと慰める。
実は、母の話し相手はわが家に1人いる。私の夫だ。朝7時半の放映を毎朝録画しておき、会社に行く準備のタイミングに合わせて録画を流す。その時間がなければ、帰ってから必ず見る。私が今回の作品はつまらなそうだからやーめたと投げ出しても、子どもの頃から大のテレビっ子だったらしい夫は、途中で放り出すことはない。
母と夫が顔を合わせると、いつも朝ドラ話で盛り上がる。 夫がネットや雑誌から仕入れた知識を披露するので、母はさらに嬉しそうに耳を傾ける。
7年ほど前、夫が本屋でガイドブックを見つけてきて、これをお母さんに渡したらどうだろうと言う。あらすじ、モデルとなった人物について、出演俳優、撮影裏話などが写真と共に解説されている。そこまで読みたがるかなと思いながら渡すと、母はすみずみまで読み込み、夫に礼を伝えた。
「ドラマの背景や、どういう役者さんかとか、テレビからはわからないところまで知ることができて、よかったわ。ありがとう」
「いえいえ、お母さんと僕は朝ドラ仲間ですから。一緒に楽しみましょう」
それ以来、次のドラマのガイドブックを夫がプレゼントするのが恒例となった。
夫の胸には、自分の母親のことがある。朝ドラを見ていたはずなのに、いつの間にか見なくなっていた。よくよく聞いてみると、話の流れを追えなくなったからのようだった。記憶の病気もその頃から始まっていたのだろう。そのことがあって、私の母には少しでも長く楽しんでほしい、ガイドブックがドラマの理解の一助になれば、と思っているのだ。
ここ2、3年、90歳の声を聞いてから、「今回はどういう話だか、なんだかよくわからないわ」と言うようになった。ガイドブックを渡すと、
「これを見るとね、本当によくわかるのよ。ありがとうね」
とは言うが、文章を読んだり覚えたりする力も弱くなってきたことを感じる。それでも、『エール』のモデルであった古関裕而さんが作曲した音楽のCDを夫が贈ると、「若い頃聞いていた曲だわ。軍歌は涙が出ちゃうけど」と繰り返し聞いていた。
夫は母の衰えを知りつつ、ガイドブックを贈り続けている。「もう、あげなくてもいいかも……」と、現実的な私はふと思ってしまうが、夫の気持ちは揺るがない。
「お母さんに朝ドラを見たい気持ちがあるかぎりは、応援するよ。朝ドラ仲間だからね」