年上の仲間

 社会学者、上野千鶴子氏の対談記事に、「大人になってからつくる友だちも、いいですよ」というくだりがあった。意図的に10歳上の友だちをつくったそうだ。10年後の自分の姿を想像し、互いに深い話ができる。それは自分の人生にとても役に立ったと語る。
 それを読んで、私は少し誇らしい気持ちになった。私には先輩がたくさんいるからだ。10歳どころか20歳上もいる。しかも意図的にではなく、自然に仲良くなった。だが、「友だち」と呼んでいいのかは迷う。趣味のエッセイグループで知り合ったお仲間だから。
 上野氏の言うとおり、年上の人と話すと、自分の近い将来が見えてきて、備えることができる。骨粗しょう症は遠い話ではないと知り、カルシウム摂取を心掛け、60代はまだまだ元気だったと70代の先輩に聞けば、今をしっかり楽しもうと思う。
 また、先輩たちは、すでに子育てや介護を終えている。その経験談を聞いて、自分が抱えている悩みの解決策を見出したり、誰もが歩んできた道なのだと安心したり。そのうちに心が落ち着いていることに気づく。
 だからと言って、役に立つという理由で先輩と付き合っているわけではない。女同士のおしゃべりでは、噂話やお姑さんの悪口を延々と続ける人がいて、閉口することが時々あるが、エッセイの仲間にはあまりいない。
 なぜかなと考えて、エッセイを書いているからではないかと思い当たった。エッセイは、読者の存在を想定しているので、自分の心を整理してから書く。思いついたままを吐き出したりはしない。だから、おしゃべりの際も、いつの間にか、相手を慮って話すようになったのではないだろうか。
 大人になってから得た年上の仲間。エッセイという趣味の、書く楽しさだけではない、別の魅力に改めて気づいた。