正当な言い訳

 夏には少し収まるだろうと言われていた新型コロナウイルスの感染が止まらない。帰省はオンライン で、と小池都知事は口を酸っぱくして訴える。
 九州に家がある夫は、それでも帰省しようかと思案していた。義母はホームに入っていて、その面会は厳しく規制されている。東京などの感染者の多い地域からはなるべく面会に来ないでほしいと言う。その代わりにテレビ電話で5分程度の面会をアレンジしてくれて、週に1回、顔を見ることができる。それを見て安心はしているが、夫はやはり生身の母親に会いたいという思いが強い。ホーム側に伝えると気持ちをわかってくれて、東京からの家族でも会わせてくれると言う。もちろん、ビニール越しで、かつ2メートル離れて、かつマスクをして、かつ10分以内という面会ルールを守ってのことだが。
 もう1つ気になるのは、正月に行ったきり閉め切ったままの家のことだ。7月には九州地方を豪雨が襲った。なにか破損していないか、周囲に迷惑をかけていないか、確認する必要があった。それなら、私も一緒に行って、2人で作業をしたほうがいいだろう。
 これは、帰省する正当な理由と言えるだろうか。GO TO トラベルキャンペーンでは東京は外された。東京からは来ないでくださいと、懇願する県知事もいる。しかし、遊びに行くのではない。高齢者とじかに接するわけでもない。不要不急の外出ではない。わが家にとっては重要なことだ。悩んでもそこに正解はなく、私たちが決めるしかない。

 結局、お盆休みを利用して夫と2泊してきた。
 義母のホームへは、2日続けて出向いた。テレビ電話で元気な笑顔を見て安心していたが、ビニールカーテン越しであっても、ナマの姿に勝るものはないと知った。眼差し、息づかい、手の届くところにいるという存在感。四角いスマホの画面の向こうに見える笑顔とはまったく違う。義母も、心の底から喜びを感じているような表情だった。夫も嬉しそうだった。
 家は半年閉め切るとこうなるのか。湿気でかび臭さが家中に漂い、スリッパの跡が残るほどに埃が積もり、虫の死骸もあちこちに転がっていて、皮のソファはカビで白くなっていた。庭は予想通り、雑草のジャングルと化していた。すべての窓を開け放って風を通し、掃除機をかけ、拭き掃除をし、布団を干し、寝具やタオルを洗濯した。夫は目立つ雑草だけ引き抜くと言って、庭で格闘していた。大汗を流して、なんとか今回の目的は果たした。
 いつもは近くに住む親戚に挨拶に行くが、高齢の叔父叔母には来たことも知らせていない。ご飯だけは外食せねばならず、馴染みの店に行くと、かえって心配をかけると思って、いつもは行かないレストランに行ってみた。注文をとりに来たマスターがにこやかに聞く。
「どちらからいらしたのですか?」
 なぜ、そんなことを聞くの? 私は何も言えなくて、下を向いた。夫がさらっと答えた。
「東京から来ました」
「え、東京から来ていいんですか?」
 やはり、そういう反応なのか。ニュースで、帰省先の隣家から「なぜ帰ってきたんだ」という手紙を投げ込まれた話を耳にしたばかりだ。帰省理由を言えば許されるのだろうか。でも、初めて会う人に、詳しい事情を話す気にはなれない。しかもこんな言い方をする人に。
 マスターは話好きと見えて、その後も何かにつけて、テーブルに寄ってきて話しかける。東京から来た人を恐れているわけではなく、単に話の流れで「東京から来ていいんですか?」と言っただけなのかもしれない。
 しかし、その言葉は私の心にグサッと突き刺さった。私自身がそれを一番気にしていたからだ。帰省することを誰かに告げるときは、聞かれる前から、これこれこういう理由があるのよと詳しく伝えた。正当な理由なのよとわかってほしくて、かえって言い訳しているような口数の多さになるのを、自分でも感じていた。

 とはいえ、義母の笑顔を目の前で見ることができてよかった。家のことも確認できた。帰省する価値はあった。……最後にこんなことを書き加えると、このエッセイも言い訳ですねと言われてしまいそうだが。

 2020年夏、コロナ禍の渦中に記す。