らんまんパワー
2023年春から、NHKの朝ドラでは「らんまん」が放映されている。主人公のモデルとなった植物学者の牧野富太郎博士は、60歳を過ぎてから94歳で永眠するまで、練馬区東大泉に住んでいた。現在そこは牧野記念庭園として公開されている。
庭園の近くに住んでいる私は、ドラマを楽しみにしていた。地元商店街の期待はもっと大きく、放映の半年以上前からさまざまな取り組みを始めた。街路灯には博士の笑顔のイラスト入りフラッグが吊るされた。「らんまん」のポスターもあちこちの店内で見かける。各店舗に植物画を飾るというボタニカル・アート展も行われた。周辺の店を載せたお散歩マップを庭園で配布、商店をめぐるスタンプラリーも開催中だ。らんまん景気に沸いているのかどうかは知らないが、庭園を見にくる人は多いと聞く。
その庭園は、庭だけなら10分もあれば隅々まで散策できる小さなもので、私が行ったのは、20年近く前の一度きりだ。小さな資料館には博士が描いた植物画が展示されていた。緻密で正確で美しい絵だったことだけはよく覚えている。
毎朝ドラマに登場する若き日の牧野博士に触発されて、久しぶりに訪れてみた。庭園の静かな趣はそのままだった。空に向かう高い木もあれば、かがんで見るような低い植物もある。もともとの武蔵野の雑木林に、採集したり取り寄せたりした植物を加え、300種以上が生育しているそうだ。
書斎は一変していた。古い小部屋は同じだが、以前はがらんとして畳が見えていた。博士の死後、部屋にあった書籍は高知県の牧野植物園へ、標本は都立大へ寄贈され、練馬区の家には残らなかったのだ。実際には膨大な量の本や標本が足の踏み場もなく積まれ、それらに囲まれるようにして勉強していた。そのようすが見える展示にしようと、寄付を集め、1年かけて本を2000冊複製して当時の部屋を再現したとか。リニューアルは「らんまん」がなければ実現しなかっただろう。この書斎で90になっても深夜まで勉強していた。圧倒される部屋だった。
高い高い木の一つクロマツは、実は私の仇だ。20年前には、マンション4階のベランダから富士山が見えていた。ところが、ちょうど間に立つ木が年月と共に少しずつ成長して、だんだん見えなくなっていった。空気が澄み切った冬の朝、青い空に白い雪をかぶった山頂がくっきり見えると、いい1日になるようで嬉しかったのに。方向から牧野庭園の木だとわかり、長いことうらめしく思っていた。らんまん恩赦で、許してあげよう。
この東大泉へは、牧野家の家計を支えた妻すえが、関東大震災後に、書籍と標本を守れる安全な場所を探して越してきたそうだ。ドラマにもそういうシーンが出てくるだろうか。