開幕を前にして

 2021年7月。あと1週間でオリンピックが始まる。2年前、ボランティアに応募した時は、意欲満々で希望に燃えていた。パラリンピックにも手を挙げ、30日以上できますと答えた。
 コロナ禍で状況は一変、辞退を考える局面に何度も遭遇した。
 まずは、昨年3月、大会延期が決まり、ボランティアの運営事務局から意志確認が来た。1年後もボランティアをやる意志があるかと。すでに仕事内容は「選手村のサポート」と決まっていて、心待ちにしていた。しかし、新たな感染症が1年後にどうなっているかわからない。リスクは半分にしておこうと、パラリンピックは辞退しオリンピックだけに絞った。
 その後、感染者数は人々が動き出すと急増し、2021年の開催も難しいように感じられた。けれども、2月に辞退を考えたのは、感染のせいではない。きっかけは森元首相の女性蔑視発言だ。憤りを感じたが、オリンピックそのものに罪はないと思い直した。
 4月25日、東京に3回目の緊急事態宣言が出た。開催反対の世論に対し、菅総理は「安全・安心な大会に全力で取り組む」の一点張りで、見ていて情けない。感染も拡大し、私の意気込みはだんだんしぼんできた。いつも、心のどこかで辞退しようかと悩んでいた。
 その頃、事務局からメールが2通届いた。オンライン研修のお知らせと活動日の確認だ。このような状況下でも、事務局は粛々と仕事を進めている。中止と決まるまでは、進むのだ。私もそうしよう。辞退したら、そこで終わってしまう。感染症の状況改善の望みは、薄いとしてもゼロではない。それなら、今辞退するのはやめよう。事務局の要請に従い、オンライン講習を予約し、活動日の確認もした。粛々と。
 とはいえ、活動日をすべて受け入れることはできなかった。提示されたのは15日間。シフトは、7時から午後3時の朝型や、2時から夜10時までの夜型のシフトなど、思っていたよりもハードだ。選手村は開会式前からオープンし、活動もそれに合わせて始まる。とりあえず、都合のつかない日を除いた10日間を活動可能として提出した。
 世の中の感染は収まらず、緊急事態宣言終了は6月20日に延期された。IOCのコーツ副会長が「緊急事態宣言が出ていても五輪は開催できる」と発言。アメリカの新聞はバッハ会長を「ぼったくり男爵」と揶揄する。日本では反対の声がさらに大きくなった。
 私がボランティアをすることを知っている人たちから、「大丈夫なの?」「感染しないようにね」と心配する声が届く。夫は反対こそしないが、テレビでオリンピックを取り上げるたびに、「ほらほら、やってるよ」と教えてくれる。相当気にしているのがわかる。
 5月末のニュースでは、「感染のリスクは完全に排除できないので、大会側は選手に対して、自己責任で参加することの同意を求めている」と報じていた。それを聞いて、自分の認識が甘かったと気づいた。感染したら、それは私の責任なのだ。夫も濃厚接触者となり、迷惑をかける。ワクチンには95パーセントの予防効果があるそうだから、2回の接種を続行の条件としよう。接種が間に合わないと判明したら、その時点で辞退する。自分で納得してルールを定めると、少し心は楽になった。
 同じ頃、ファイザー社から大会関係者にワクチンを無償提供するというニュースが伝わってきた。ボランティアも対象に含むとか、ボランティアは7万人いるので数が足りないとか、耳にするたびに違う話が出てきて一喜一憂する。
 ユニフォームの受け渡しの連絡が来た。これも、ワクチン次第だ。夫は、やらなくても記念にもらっておけばいいじゃないかと言うが、実際に経験してこその記念だ。
 6月。4日にオンライン研修を受けて、選手村の概要や建物の説明を聞く。選手村の入り口近くにビレッジプラザという木造の建物があり、ショップやクリーニング、銀行などの生活サービスが選手に提供される。全国の自治体から借り受けた国産木材を使って建てられ、大会の終了後に解体してもとの自治体に返却し、その地でレガシーとして公共施設などに活用されるそうだ。そんないい話、初めて聞いた。開催するにあたって、何年もかけて全国を巻き込むさまざまな知恵と工夫があったはずなのに、何も伝わってこない。残念な話だ。
 仕事としては、リクリエーションセンターや宗教センターの受付、宿泊棟の問い合わせ窓口、人の誘導などがあると説明を受けた。それを聞きながら、はっきりわかったことがある。「バブル方式」で選手たちを囲うので、日本人との接点はないと説明がなされているが、それはうそだ。バブルは穴だらけ。何しろ、私のようなボランティアがそのバブルを出たり入ったりするのだから。これが安全・安心なのだろうか。
 ボランティアへのワクチンは、事務局も「検討中」と答えるのみ。効果を開会式から逆算すると、6月18日に1回目を打ってやっと間に合うというのに。自治体からの接種券も私の年齢枠にはまだ発送されない。時間切れで断念するしかないように思えた。
 10日の事務局のメールには、選手村での実地研修の日程を決めるようにとあり、記念に見ておこうかという気持ちで、6月30日に設定した。
 15日。メールチェックをしていた私は、「ヤッター!」と腕を突き上げた。事務局から「選手村で活動するボランティアも大会関係者として接種を行う」と連絡がきたのだ。すぐさま指示されたサイトで予約をとる。18日。ということは? 開会式までに間に合う! 1回目の接種のその足で、ユニフォームを取りに行った。
 翌日、成田空港に着いたウガンダ人チームに陽性者がでた。しかも、濃厚接触者の判定のないまま他の選手全員をバスで大阪へ連れて行った。選手村には空港から直接やってくる選手たちもいる。ワクチンの効果が表れない開会式前の活動を辞退。デルタ株の脅威も考え、日数も減らし、4日間だけにした。夫に伝えると、ほっとした表情を見せた。
 しかし、私はなぜ完全に辞退しないのだろう。おもしろそうとか、こんな機会はないからと思って応募したのだが、心の根っこには、海外に夫の転勤で住んでいた時や旅行の際の、現地の人たちとの交流の楽しさがある。旅先のちょっとした会話だってうれしかった。その喜びを、日本にやってくる人々に何らかの形でお返ししたい気持ちがあるのだ。

 開幕まで1週間となり、やっと大会の特集を目にするようになった。それでも、東京で開催するというのに、取り扱いは小さい。現在の感染状況を思えば開催は大いに不安だが、それでも国民に反感をもたれずに開催する方法はなかったのかと、返す返すも残念に思う。
 2年前に灯した希望の光は、紆余曲折を経て細く小さくなったが、私には確実に見えている。4日間を最高に楽しむつもりだ。