気になる言葉(3)「普通」

「普通」を辞書で引くと、「特別でなく、ありふれていること。それがあたりまえであること」などの意味が載っています。
「普通」という言葉が何を示すのか、3つの文例を見ながら考えたいと思います。

(例1)独り者のサラリーマンだった私は、惣菜や焼き魚など普通のおかずに飢えていたから、社食をよく利用した。
(例2)今では普通の家の庭先にも、いろいろなガクアジサイを見かける。
(例3)彼女の家庭は、普通とは違う

例1)筆者にとって何が「普通のおかず」かを、「惣菜や焼き魚など」という例を挙げて書いているので、読み手にも「普通」の意味がきちんと伝わります。

例2)今月のエッセイ「なんや、おまえ、アジサイやったんか」に、「今では近所の家の庭先にも、いろいろなガクアジサイを見かける」という一文があります。推敲前の文が、この例文です。
「普通の家」とはどういう家をさすのか。読み手に伝わりにくいですね。自分でも何気なく書いていたことに気づきました。「特に豪華な家でもなく、庭木に特別手をかけている家でもなく、近所に並ぶ民家」をさすのですが、そこまで説明をする必要もない箇所なので、「近所の家」と直すだけにとどめました。

例3)「普通とは違う家庭」と聞いて、読み手はどういう家庭を考えるでしょうか。筆者に聞くと、親が離婚している家庭だが、はっきり「離婚」と書くと相手のプライバシーに関わると思い、オブラートに包む意味もあって「普通ではない」と書いたとのことでした。しかし、読み手はこの文から離婚家庭を想像するでしょうか。「書き手が伝えたい普通」と「読み手が想像する普通」には食い違いが生じそうです。この場合は、相手が誰かを推測されないようにしてプライバシーは保ったうえで、離婚に触れる必要があればはっきり書くほうがよかったのではないでしょうか。

「普通」という言葉にはもう1つ問題があると感じます。
離婚家庭を「普通とは違う」と書くことについて、注意が必要と思うのです。今は多様な生き方を認め合う世の中です。「普通の子」「普通の家庭」「普通に生きる」という表現を安易に使っていいものか。どういう意味でこの言葉を使うのか、書く前に一度考えてみる必要があるのではないでしょうか。
何気なく使ってしまいがちな言葉だからこそ、気をつけないといけないと思っています。