足をケガして(後編)
〈前編はこちらからどうぞ〉
右足のふくらはぎが肉離れを起こして、しばらく安静を言い渡された。しかし、その3日後の夕方、どうしても行かなくてはならない仕事があった。
杖をつきながら、電車を乗り継いで、目黒まで向かう。池袋から乗った山手線は空席がなく、吊革につかまって立っていた。4駅先の新宿では降りる人が多く、必ず座れることはわかっていたが、手前の駅で、2人向こうの席が空いた。前に立っていた若い女性が座ろうとして、私の杖が視界に入ったのだろう、声をかけてきた。
「座りますか?」
私の目の前に座っていた女性はその声に反応して、手元のスマホから顔を上げて、
「あ、すみません、気づかなくて。どうぞ」
と言う。心の中がじわっと温まる。こうした言葉がどんなにうれしいかを知った。礼を述べて、席に座った。
肉離れは筋肉の部分的な断裂で、傷口部分に血液がたまるらしいが、筋肉の中のことなので外見上は変化がなかった。数日たってから、その血液が足首のほうに下りてきて、青紫の内出血として見えてきた。足もむくんで、ソックスのゴムの跡が足首にくっきり付いた。このくらいのむくみでも、足が重くてだるい。母の足が晩年、ぱんぱんにむくんでいたのを思い出す。こんなに重い足を引きずっていたのだと、今さらのように気づいた。
ケガから2週間たち、右足のかかとを地面に付いて歩けるようになり、杖が必要なくなった。とはいえ、安心してはいけないらしい。
「たとえば信号が変わりそうとか、あの電車に乗りたいとか、急に早足になるのが一番危険。ふくらはぎに負担がかかって、また痛めますよ。歩けるようになった今こそ、気をつけてください」
と注意された。ストレッチの方法を教わり、家で、ふくらはぎの後ろ側を少しずつ伸ばす。急がずゆっくり歩く日々が、まだしばらく続く。とはいえ、杖なしで歩けるのはうれしい。自由を取り戻したような気分だ。
しかし、杖がないからこその危険もある。私の足がまだ完全でないことを、世の人は誰も知らないのだ。道を歩いていてこわいのは、スマホを見ながら歩いてくる人。「私が居ますよー」と声をかけたくなるくらい、前方をまったく見ないで、こちらに向かってくる。また、おしゃべりに夢中の集団もこわい。ちょっとでもぶつかったとき、私の右足は踏みとどまる力がない。大げさに足を引きずってみせても、相手はまず気づかない。端に立ち止まって、人をやり過ごす。
さらに2週間、ケガから1か月たって、超音波検査を受けた。筋肉の傷はだいぶ小さくはなったが、スポーツはまだだめ。ストレッチは少し負荷をかけたものを教わった。歩きには少しずつ自信を持てるようになり、電車に乗っての用事もいくつかこなした。まだ階段は心配なので、エスカレータやエレベータを使う。多くの駅に設置されていて助かるのだが、エスカレータがこのまま続くと思って上がっていったら、最後の地上への出口は階段だけという場所があった。上りは完備されているのに、下りエスカレータが見つからなくて、長い階段を一つ一つ足を引き寄せながら下りたこともある。
自分が当事者になってみて、社会のバリアフリーはまだまだ行き届いていないことを実感した。母が年老いてから膝を悪くして、一緒に外出すると同様のことを散々感じてきたはずなのに、問題はもっともっと切実だったことを身に染みて感じた。自分がケガして、他の人の足に関心がいくようになり、世の中には歩行に何らかの事情を抱えている人がけっこう多いことも知った。
肉離れはもうしばらくすれば完治して、足はこれまでの不便をすっかり忘れてしまうだろうが、この間に感じたことは心に刻んでおきたいと思っている。