アローン・アゲイン
『アローン・アゲイン 最愛の夫ピート・ハミルをなくして』(青木冨貴子著 新潮社 2024年3月)をご紹介します。
書店の棚で、青木冨貴子という懐かしい名前を見かけました。1990年頃、夫の転勤でニューヨーク郊外に住んでいるときに出合った本の著者です。
インターネットのないその当時、日本語で書かれたものに飢えていました。知り合った日本人の間で雑誌を貸し借りし、月遅れの新聞ですらうれしくて細部まで読み込みました。
マンハッタンには日本の本屋がありましたが、子育て中の身でもあり、都会に行くのは年に何回か。本屋に足を伸ばして、1冊選んで、大事に読むことが、喜びでした。そのなかに青木さんの本があったのです。『たまらなく日本人』という本でした。
ニューヨークに滞在する青木さんは、フリーのジャーナリスト。彼女の目を通して見えてくるのは、人種問題、政治や社会問題、ベトナム帰還兵の話など。郊外で幼稚園の送り迎えをしている私とは問題意識が違うと感心したことを思い出しました。
30年以上たって書店で見かけた青木さんの本には、悲しいタイトルが付いていました。13歳年上のピート・ハミル氏と出会ってから、彼が85歳で最期を迎えるまでが綴られた本でした。33年におよぶ結婚生活を軸に、ニューヨークでの暮らし、それぞれの仕事、アイルランド人移民としての彼の家族や生活、9.11の時のようすなどが細かく描かれています。そばで見てきたハミル氏が、ジャーナリスト・コラムニスト・作家としていかに才能あふれる人物であったか、青木さんは彼の半生記を書きたかったのかもしれません。青木さんから彼に送る壮大なラブレターのようでもありました。
妻が愛する夫のすばらしさを書いた文章。書き方によっては、読み手が置いてかれるというか、興ざめるというか、素直に読めないものになりかねません。しかし、この本からはそういう感情はまったく起きませんでした。どうしてでしょうか。
登場する人物や食事、街の風景など、異国の話なので、映画か何かの世界のように感じるという理由も少しはあるかもしれません。一番の理由は、青木さんがノンフィクションライターでもあり、物事を描くのに、事実を連ね、見えたことそのままをニュートラルに書いているからではないでしょうか。感情に流されてしまいそうな場面でも、感情を表現する言葉は極力使わず、きわめて冷静さを保とうとしているのを感じました。
そして、愛情が青木さんからの一方通行ではなく、ハミル氏からはもちろん、家族同士、友人たちや仕事仲間との間にも、愛が溢れていました。
こんなふうに愛する相手のことを書けるのはすばらしいなと思いながら読み終えました。最後の文は「『アローン・アゲイン』、わたしはまたひとりになったのだ」です。
私は古い本はわりと処分してしまうのですが、ニューヨークで買った『たまらなく日本人』は、わが家の本棚の奥に残っていました。その本の最後には「わたし自身は何かの縁でこの五月、アメリカ人と結婚した。作家のピート・ハミルである」と書かれていました。