いいエッセイとは?

そのエッセイは、地方から東京に転勤してきて感じたカルチャーショックを、言葉のアクセントやうどんの味の違いなどのエピソードと共に綴ったものでした。住む場所は変わっても、出身地の文化にこだわり続けたいと思う筆者の気持ちも書き込まれていました。エピソードは具体的に描かれ、また、たいへん読みやすい文章でもありました。

合評では、このエッセイが提供した話題を中心に、いつも以上に多くの人が発言しました。自分も同じような経験がある、東京出身の自分はそこまで気づかなかった、そういえばこんなエピソードを思い出した、などなど。

こうやってエッセイで取り上げられたことがきっかけとなって、それまでに経験したことや考えていたことがどんどん思い出される。みんなに話したくなる。エッセイを中心に話に花が咲く。こういうエッセイに出会うと、私は「ああ、いいエッセイだな」と思います。

よく、「読み手の共感を得るエッセイを書きたいものですね」と言いますが、「エッセイに共感する」とはどういうことでしょうか。
そのエッセイが読み手の心にコンタクトして、過去の同じような経験や感情を掘り起こす。読み手は、掘り起こされた自分の経験や感情をエッセイに重ね合わせて読む。
これが「エッセイに共感する」ことだと思います。

まったく同じ経験や感情はそうそうありえないでしょうが、エピソードが具体的に描写されていれば、読み手は想像力を使って、自分の中の似たような経験に置き換え、自分の経験と重ね合わせて共感することができます。具体的に書くことの意味はそこにあります。

「そのエッセイについて話に花が咲く」というのは、共感を呼ぶエッセイであることの証しです。それを私は「いいエッセイ」だと思うのです。

冒頭のエッセイの筆者は、「もう少しうまく書きたかったんですが、もっと高尚なというか芸術的なというか……」と言いました。もっと難しい表現を使い、格調高い文を書きたかったのでしょうか。

このエッセイから話が広がった。そこには読みやすさも関係しているはず。そして、多くの共感を得た。それで十分。それがいいエッセイ。
私はそういう気持ちでエッセイと向き合っています。 小難しさやカッコよさを求めると、かえって読みにくい作品になるおそれがありますので、ご注意を。