なまものを渦中に書く

以前、「なまもの」を書く際に注意すべきことを、「今月の話題」で取り上げました(なまものを書く~新型コロナウイルスの場合~)。そのときは、新型コロナウイルスを例にとり、長い期間に起こっている「なまもの」について考えました。今回は、短期間に起こった出来事を考えてみます。

その前に、「なまもの」についての復習から。
エッセイにおいて「なまもの」とは、今起こっている時事性の強いテーマをさします。食品の「生もの」は、日持ちせず、いたみやすい。それと同じで、エッセイでいう「なまもの」も、今はみんなが知っているが日持ちはせず、時間がたったらすぐに忘れられてしまう、もしくは、解釈ががらりと変わってしまうおそれがあります。ですから、「なまもの」をテーマとして取り上げた場合は、みんなが知っていることをどのくらい書くか、状況が変化するなかで、どう処理するか、どこまで書くか書かないかを考えなくてはなりません。

さて、今回取り上げるのは、2021年2月初旬に起きた、森喜朗氏の女性蔑視発言です。
「女性がいると会議の時間が長引く」「組織委員会の女性は、みなさん、わきまえておられて」などと発言し、翌日の謝罪会見でも、記者の質問に対して逆切れする。この発言に世の中は反発しました。ツイッターでは、「#わきまえない女」がトレンド1位になり、在日の欧州大使館からは「#dontbesilent(沈黙しないで)」の投稿。オリンピックのスポンサーからも抗議のコメントが出されました。森氏は辞任を余儀なくされ、後任選びにもひと悶着あり、発言の2週間後、橋本聖子氏に決まりました。

こういう事実を書くにあたっても、今起きていることを冷静に書くのはむずかしい。この発言に憤りを覚えている今はなおさらです。怒りのバイアスがかかってしまいます。しかも、オリンピックのボランティアを予定している私は、辞退する人に対して自民党の二階氏が「瞬間的」なことだから「落ち着いて静かになったら、その人たちの考えもまた変わる」と発言したことにさらに憤慨しました。

私はこのときの気持ちをエッセイに書き残しておきたいと思いました。
しかし、その気持ちがうまく整理できません。女性蔑視発言に対して怒りが湧きましたが、現役で働いていないので、具体的なエピソードは古い話か知人からの伝聞だけです。読む人に共感してもらえるエッセイが書けるかどうか。
では、私が書けることは何か。ボランティアを辞退しようか悩んだことが、今回の件で私らしさを出せる箇所ではないか。オリンピックと男女公平の関係も、ボランティア研修で学びました。この切り口でなら、私の思いを伝えることができそうな気がしてきました。

そして、今回気をつけたのは、「事実はなるべく感情を入れずに書く」ということです。時間がたってからこの作品を読んだときに、事実は事実として読み手に伝わることが大切と思ったからです。
また、森氏の後任の会長は決まりましたが、それで話は終わりではありません。 議論が高まった男女平等の話題が一過性で終わってほしくないという思いがあります。 どのように話を締めくくるかも悩みました。

完成したエッセイを「今月のエッセイ」に載せました。私の意図がうまく反映された文章になっているといいのですが。