選手村ボランティア(最終回)

ボランティア最終日

 ボランティアの活動を始める前に4日間だけの活動にすると決め、事務局にそう申請した。ところが、うまく伝わらなかったのか、5日間分のシフト表が送られてきた。事務局に再度メールする際に、
「4日でお願いしたのですが、今からでは変更がむずかしければ、シフト表どおり5日間活動します」
と書いた。迷惑をかけては申し訳ないと思ったからだ。すぐに返信がきた。
「4日間で登録しました。もし、5日が希望であれば、連絡ください」
 どうしよう。連絡しようか。4日でと言い出したのは私だが、活動するうちに、もっともっとやりたくなっていた。仕事内容もだんだん理解してきて戦力になれそうと感じていたし、なにより選手村に身をおくことに楽しさを感じていた。コロナ禍でなければ、そもそも4日なんて考えなかった。
 家に帰ると、今日はこんなことがあった、あんなこともと、その日の出来事を話すのに忙しい。聞き役の夫は私の張り切るようすを見て、「やりたいなら、もう1日やれば? コロナにはくれぐれも気をつけて」と背中を押してくれた。
 しかし、実は、もう1日はぜひとも活動したい別の理由もあった。
 ボランティアは、タダ働きさせるブラック仕事だと陰口をたたく人々もいたが、そうではない。オリンピックに関わりたくて、参加しているのだ。そして、運営側もそれに対して、ちょっとしたご褒美を用意してくれている。3日活動すると、特別のピンバッジがもらえる。地の色は銅色。5日活動すると銀色の、10日目には金色を。そう、5日働けば銀色バッジがもらえるのだ。コレクションしているわけではないが、ボランティアをした証のようなこのピンバッジの銀色を、もう1日活動して手に入れたい。

 最終日も集合が朝7時だった。6時40分にボランティアのチェックインコーナーで、「5日目ですね」と確認を受け、いつものようにミールクーポンや汗拭きシートなどをもらう。そして、銀バッジも。銅バッジと同様、大会のキャラクターであるブルーの「ミライトワ」とピンクの「ソメイティ」が、ボランティアのユニフォームを着ていて、ボランティアの本来の名称「Field Cast」(フィールドキャスト)の刻印がある。すぐに袋から出して、IDの紐に取り付けた。
 その日は、閉会式の2日前。普段は選手たちが大勢行き交う選手村が、なんだか閑散としている。感染リスクを抑えるため、競技終了後2日以内に離村することになっているから、閉会式を待たずに帰国する選手も多いのだろうか。担当の宿泊棟受付でも、こんなに依頼がこないなんてとスタッフ皆が驚くくらい、静かな1日だった。それまでは昼食1時間が唯一の休憩時間だったが、その他に10時頃に30分の休みも与えられた。
 祭りの終焉の近いことが伝わってくる。と同時に、次の入村に関する問い合わせがあって、パラリンピックに向けての準備がすでに始まっていることを知る。
 14時になり5日間の活動が終わった。その日が最後というボランティアがもう1人いて、受付業務についていた8名全員が集まって、ご苦労様の声をかけてくれた。そういう時間が取れるのも、これまでには考えられないことだった。

 炎天下のなか、最寄りの勝どき駅に向かう。毎回、違うボランティア仲間と活動を共にした。アドレス交換もせず、その場限りの付き合いだったが、同じ方向を見つめる同志だったなと思う。
 ボランティア活動の感想を聞かれたら、「楽しかった」と答えるだろう。何が?と問われたら、ひと言では答えられない。選手村にいること自体が楽しかった。そこにいるだけで、わくわくしたし、高揚感に包まれた。選手からは、彼らの放つエネルギーをもらった。オリンピックを違う視点で見ることもできて、知る楽しみもあった。この大会が行われなければ、2度と経験できないことばかりだった。選手たちが競技終了後のインタビューで、必ずのように「この大会を開くことに尽力してくれたすべての人に感謝したい」と口にしていた。私の立場はまったく異なるが、同じ気持ちだ。
 ボランティアを希望した理由に、外国に行ったとき現地の人たちとの交流がうれしくて、何らかの形でお返ししたいという気持ちがあった。しかし、私にできたのは、質問に対して答えて、マスクの下で精一杯の笑顔を作り、あとはアルコールで除菌したくらい。アメリカに住んでいたとき、困ればすぐに友人が手を差し伸べてくれたことに比べたら、「お返し」には程遠い。旅行中に、レストランで隣り合った現地の人と楽しく会話して、お勧めのメニューや観光の見どころを教えてもらった嬉しさの1パーセントも返せていない。だが、私一人の力はそれだけでも、他の何万人ものボランティアの力が一つとなって、選手たちが気持ちよく競技に打ち込む手助けはできたのではないか。そうであったことを願う。そんなことを地下鉄に乗ってからもぼんやり考えていた。
 そのうちウトウトしだし、いつしか沈むように深く眠り込んでいた。ふと目が開いて駅名を見て、慌てて飛び降りた。
 5日間、帰り道はいつもこんなふうだった。

*8月8日の閉会式ではボランティアへの感謝を示すセレモニーが行われ、また選手たちからもSNS上に感謝のメッセージが多く投稿された。こちらこそありがとうと伝えたい。

*オリンピック開催の是非については、いろいろな意見がある。また、ボランティアも人によってさまざまな経験をしている。報道によれば、意に沿わない任務や過酷な環境もあったらしい。同じ選手村で活動していても、感じ方は違うだろう。本エッセイは、一個人の体験談として読んでいただければ幸いです。

*エッセイ「選手村ボランティア」は7回シリーズです。ぜひ最初から順にお読みください。
(1)カラフルで躍動する街へ
(2)ボランティアのお仕事 その1
(3)ボランティアの楽しみ その1 ランチ
(4)ボランティアと新型コロナウイルス
(5)ボランティアのお仕事 その2
(6)ボランティアの楽しみ その2 選手と出会う
(最終回)ボランティア最終日